季節の風情が楽しめる嵐山エリア

京都の観光スポット、嵐山エリアに行ってきました。話題の竹林や定番の渡月橋、足を伸ばしてトロッコ列車を紹介します。

嵐山の代表スポット渡月橋である。

平安の初期に亀山上皇が「くまなき月の渡るに似る」と感想を洩らしたことから「渡月橋」と呼ばれるようになったと云われている。橋の長さは155mある。2001年3月にリニューアルされています。

嵐山に来たらハズせない綺麗になった看板風景となっています。

桂川に沿って渓谷を上っていく「嵯峨野トロッコ列車(正式名称:嵯峨野観光鉄道)」。JR嵯峨野線・嵯峨嵐山駅からすぐ隣にあるトロッコ嵯峨駅から、上流のトロッコ亀岡駅までを結ぶ観光列車で、四季折々の渓谷の彩りをトロッコに揺られながら観覧できるとあって人気です!

歩き疲れたら乗る!これに尽きます!!

渡月橋の北側、嵯峨野に広がる竹林です。
数万本の竹が生い茂る一帯には、竹林を縫うように小径が張り巡らされており、のんびりと歩けば平安時代の趣を肌で感じることができ、夏場はサラサラと音を立ててゆれる竹たちの風の演奏で涼を感じらる風情のあるスポットです。

嵯峨野の竹林に佇む「野宮神社」は源氏物語の謡曲『野宮』にも登場する歴史深い神社で御祭神は「縁結びの神様」「子宝安産の神様」として有名です。
竹林の散策コースのルート上にあるので立ち寄ってみてはいかがですか。


◆基本情報◆

アクセス

京福電鉄・嵐山駅

嵯峨野観光鉄道・トロッコ嵐山駅

阪急嵐山線・嵐山駅

JR線・嵯峨嵐山駅

エリザベス女王も称賛した石庭in龍安寺

京都府京都市右京区にある「龍安寺」は、
御本尊は釈迦如来、古都京都の文化財にも登録されている寺院である。

室町時代に創建された龍安寺は、石庭、枯山水の方丈庭園で有名で、龍安寺の石庭は、幅 約25 m、奥行約10mの中に白砂を敷き詰め、大小合わせて15個の石が配置されており、その石の配置から「虎の子渡しの庭」「七五三の庭」などの別名があります。

白石が凛とした空間を演出する石庭。龍安寺の石庭は、どの位置から眺めてみても、必ず1つは石が隠れて見えない様に設置されていることでも有名です。

「15」という数字は、東洋では完全を表す数字だそうで、つまり「必ず1つの石は隠れて見えないように作られている」「14」しか見えない、ということは「不完全」というメッセージが込められています。
なぜなら、「自分自身を見つめて、足りないものを見つめ直し、今ある自分自身に感謝する心を持ちなさい」という思いが込められているのだそうです。

龍安寺の方丈(本堂 附 玄関)室内、方丈を訪れる多くの人が、縁側に腰を掛けて眺める石庭ですが、実はこの部屋は、立ち見で庭を眺めるために造られたそうです。
先に、石庭にある15個の石のうち、1つは必ず隠れて見えないように設置されていると説明しましたが、方丈の室内から立ち見で観た時、全ての石が見える場所があるそうです。たった一点、不完全が完全になる、15個全ての石が見えるという位置を探してみるのも楽しそうですね•*¨*•.¸¸☆*・゚

外庭には、季節の花たちが美しく咲き銭形をした水汲み場や石庭よりも美しいと称されていた庭園も見どころです。


◆基本情報◆

所在地

京都市右京区龍安寺御陵下町13

電話番号075-463-2216

拝観時間

3月1日~11月30日  8:00a.m – 5:00p.m.

12月1日~2月 末日  8:30a.m – 4:30p.m.

拝観日

無休

拝観料

大人・高校生 500円

小・中学生 300円

交通アクセス

京福電車 竜安寺下車 徒歩約7分

市バス・JRバス 竜安寺下車 徒歩約1分

駐車場駐車場は石庭拝観者に限り1時間無料

公式サイト

http://www.ryoanji.jp/

きらびやかに輝く金閣寺

金閣寺と呼ばれていますが正式には鹿苑寺といい、金閣寺の歴史を振り返ると古くは鎌倉時代に藤原一族の藤原公経(西園寺公経)がこの地に西園寺を建立しました。
鎌倉幕府滅亡後、荒れ果てた西園寺を足利義満が譲り受け、「北山殿(北山第)」と呼ばれる大規模な邸宅を造営しました。邸宅とはいいながら御所に匹敵する大規模なもので義満はここで政治の実権を握ります。

足利義満の死後、遺言により北山山荘は舎利殿(金閣)を残して解体され禅寺となりました。禅寺の名前は義満の法名鹿苑院殿から二次をとって鹿苑寺と名付けられました。

金閣(舎利殿)は金閣寺を代表する建物で、漆塗りに金箔を張った豪華な建物である。

足利義満が造営した北山山荘で唯一解体を逃れた建造物です。残念ながら1950年の失火で全焼しましたが、1955年にほぼ焼失前の状態に再建されました。

上層の天井板は「楠天井の一枚板」であったと言われていますが焼失したため確認はされていません。金閣寺の失火については「三島由紀夫の金閣寺」や水上勉の「金閣炎上」など文芸作品の題材ともなりました。

3層構造の豪華な造りの金閣(舎利殿)は2層目、3層目には漆に金箔が押されています。金閣は各層に別々の建築様式を採用した異色の造りになっています。屋根はこけら葺きで頂上には鳳凰が輝いています。

敷地内には、見どころのスポットは他にもあるのでぜひ現地に足を運んでてください!

拝観料を支払った際にいただける金閣寺のお札

きらびやかに輝く金閣寺をもっと堪能できるシーズン(紅葉や京都は雪も降るので積雪の金閣寺)に訪れてみるのがベストです!


◆基本情報◆

所在地

京都市北区金閣寺町1

電話番号

075-461-0013

拝観時間9:00~17:00

拝観日

無休

交通交通アクセス

京都市営バス「金閣寺前」(12・59系統)または「金閣寺道」(急行101・急行102・204・205・M1系統)バス停下車

駐車場

大型バス 30台分 1000円/1時間

マイクロバス 500円/1時間

自家用車 300円/1時間

二輪 100円/1時間

公式サイト

http://www.shokoku-ji.jp/flash/flash.html

母のための庭園in銀閣寺

室町幕府八代将軍であった足利義政が、自分のもてる芸術的センスのすべてを注ぎ込んだと云われる世界文化遺産「銀閣寺」です。

銀閣寺とは造語で、“銀閣”と呼ばれる『観音殿』が上記写真です。二層のうち、下層の心空殿は書院風の造りで住宅、上層の潮音閣は観音菩薩を安置する仏堂になっています。

銀閣の上の方を見てみると、そこには天下太平の象徴である“鳳凰”が立っています。

凛々しい姿で東を向いて立つこの鳳凰は、観音菩薩を安置する銀閣を絶えず守り続けています。

銀閣寺の裏山にある庭園は、足利義政自らが作庭指導をしたとされる池泉回遊式庭園(大きな池を中心としてその周囲に山や小島、橋等を作り、各地の景勝を再現した庭園)で、国の特別名勝に指定されています。

銀閣寺の庭園は苔と緑が美しく、見応えがあります。

こちらの庭園が模しているのは『苔寺』としても有名な西芳寺。足利義政は、当時女人禁制の修行道場だった西芳寺の庭園を「どうしても母親に見せたい」と思い、自ら作庭指導をしてこの庭を作庭したのだとか。本物の苔寺に負けないほど美しい庭園となっています。

そしてこの庭園の奥には、当時足利義政も愛用していた井戸の跡「お茶の井」と呼ばれる湧き水のでる場所があり、現在もお茶会が行われる際にその湧水が使われるほど良質なものなのだそうです。

庭にある砂で固められた白く大きなプリンのような造形物は「向月台」一筋の滝が落ちるこの泉は「洗月泉」何よりこの銀閣寺の東にあるのは「月待山」という名前が付けられている。

銀閣寺の本当の姿は月明かりが差し込んだときに現われると言われており、残念ながら夜間の拝観はしていないので、あくまでも頭の中で思い描くしかないですが・・・

今から500年も前、電気もネオンの明かりもなく数本のろうそくがその周囲を照らすだけで、あとは真っ暗闇であった時代・・・

この砂山がたいへん風情を出す重要なものでありましたとさ。


◆基本情報◆

所在地

〒606-8402

京都府京都市左京区銀閣寺町2

交通アクセス

(1)JR京都駅から市バスで30分
公開時間

3月~11月 8:30~17:00
12月~2月 9:00~16:30

創建年代 :1482年

お問い合わせ

075-771-5725

舞妓に出会える街in祇園(南側)

祇園町南側花見小路から望む路地の町並み

祇園は京都屈指の花街で、舞妓さんがいることでも有名です。八坂神社、円山公園、知恩院、青蓮院門跡、花見小路通などの観光スポットも点在していますが今回は、南側を訪ねてみました。

江戸時代、広く祇園と呼ばれていたのは、祇園廻り・祇園社(現八坂神社)境内・祇園村の三地区でした。そのうち祇園村とされる地域は祇園社西門前、四条通りを中軸とした鴨川以東の一帯です。
この地域は祇園社の西門前の門前町ちして、中世より市街化の進行がうかがえます。洛中よりの参詣道として四条大路が鴨川を渡って東に延びたことによるものです。

四条大橋の架橋は平安時代の久寿元年(1154)の「百錬抄」に「祗園橋供養」の記載があります。
ただし、中世の市街化の進展はそのまま、江戸時代に受け継がれたわけでなく、戦国時代の景観を写した洛中洛外図屏風などでは、この付近にはさしたる町並みがなかったようです。江戸初期にも、同じ鴨川の東でも、東海道に繋がる北の三条通り、伏見街道に至る五条通り周辺が洛外町続きとして開けていて、四条通り周辺の市街化は遅かったみたいです。
この四条周辺の市街化は、江戸時代の初期の鴨川改修工事によって両岸に堤防が築かれると、水茶屋などが並んだようで、まず四条通りに面して祇園町北側・同南側が町場となりました。その時期は「慶弘紀聞」に寛文6年(1666)のことのこっています。

寛文5年(1665)刊「京雀」には「四条河原いろいろ見物の芝居あり。その東は祇園町北南行ながら、茶やはたごやにて座しきには客の絶ゆる時なし」と祇園町の賑わいぶりを記載しています。更に寛永14年(1637)洛中洛外惣町数人家数改日記には、洛外町として「北祇園」「祇園村南側」の記載が見られます。
そのため寛文期は祇園町の再開発期で、三条通りから町並みが南下し、鴨川に沿って、弁財天町・常盤町・廿一軒町・中之町・川端町・宮川筋一町目の祇園外六町が形づくられました。それから正徳3年(1713)には祇園町北側の更に北に大規模な造成を行い、一帯を町場としました。そこに新しく七筋の道を通し、元吉町・橋本町・林下町・末吉町・清本町・富永町が開町して祇園内六町が出来、祇園新地の拡大がもたらされました。
すぐに人家が建ち並んだわけでなく、正徳4年(1714)の洛外町続町数小名家数改帳には「未家建揃不中、町数小名不相極候」となっていて、人家はまばらであったことが想像できます。
正徳4年(1714)洛外町続町数小名家数改帳では「祇園町北側」とあり、家数59軒、又「祇園町南側」とあり家数60軒とある。
幕府からの規制を受けながらも、公許された島原遊郭よりも、気楽に遊べる祇園が喜ばれ、歓楽街として発展しました。

明治維新の戦火や祇園の火災などにより、衰退する京都の救済策として、建仁寺の塔頭を整理して町地とし、祇園町南側の町並みが整備されました。
現在の祇園町南側は「祇園町南歴史的景観保全修景地区歴史的景観保全修景計画」により古い町並み景観が残るよう、いろんな規制を設けて保存に向かって努力されています。
同じ祇園でも、四条通りを挟んで北側はネオン瞬く歓楽街ですが、南側は弁柄格子に簾・暖簾の町並みで、木造2階建ての美しい町並みが続きます。

最近は、観光ブームで一力茶屋の赤壁の前まで賑やかです。


お茶屋の造りは切り妻、瓦葺きの本二階建て、一階は千本出格子に駒寄せ、二階は座敷で表に張り出し縁や格子手摺を付け年中すだれを掛けた町屋が並びます。

江戸時代には本二階は禁止されていましたが、お茶屋は許されていました。

そのため、祇園やお茶屋の多い街並みでは少し低めの二階建てが多く見られます。


◆基本情報◆

所在地

京都府京都市東山区

交通アクセス

京都市営バス  祇園バス停