花火選びが楽しいこだわりの花火専門店 はなびかん

はなびかんは、山梨県西八代郡市川三郷町高田にある花火店です。

はなびかん

はなびかんは、創業60年以上を誇る花火専門店「花火屋タチカワ」が運営する直営店です。一瞬の感動と一生の思い出に残る「夢花火」を中心に、おもちゃ花火から本格的な打ち上げ花火まで幅広い品揃が島です。子どもから大人まで楽しめる花火がラインナップされています。

はなびかん

はなびかんは、笛吹ライン沿いに位置しています。店舗は広い敷地を持ち、その入り口には赤い色ののれんが目印となっています。初めて訪れる人も見つけやすい立地です。

はなびかん

店舗奥には駐車場を完備しており、車で訪れる方も安心してご利用いただけます。お買い物後には大きな荷物も楽々積み込めます。

はなびかん

創業60年を超える「花火屋タチカワ」の専門知識と経験が詰まった「はなびかん」では、スタッフが厳選した400種類以上の花火を取り揃えています。

はなびかん

店内には一目で楽しめるほど、色とりどりの花火がずらりと並んでいます。一つひとつ丁寧に選ばれた花火は、質の高さが自慢です。

はなびかん

手持ち花火はラインナップが豊富です。鮮やかな発色と持ちやすさで、家族や友人と楽しい時間を過ごすことができます。はなびかんで扱うバラ花火は、すべて日本製です。日本の職人たちが手掛けた花火は、鮮やかな色合いや美しい形状が特徴で、その品質の高さが魅力です。

はなびかん

地面に設置して楽しむ打ち上げ花火も豊富に取り揃えています。勢いよく空に打ち上がる花火は、迫力満点でアウトドアやイベントを盛り上げます。

はなびかん

はなびかんの花火は、単に楽しむだけでなく、そのパッケージにもこだわりがあります。特に、上品な化粧箱のような箱に入った花火や、お線香のようなパッケージに入ったものなど、贈り物やイベント用としても最適です。これらの花火は、見た目にも華やかで、プレゼントとしても喜ばれること間違いなしです。

はなびかん

最近ではあまり見かけなくなった、昔ながらのスタンダードな爆竹も取り扱っています。懐かしさを感じる一品です。

はなびかん

はなびかんで、花火を購入したところ、一本おまけしてもらえる嬉しいサービスがありました。たくさん花火を購入する方にとっては、ちょっとしたお得感が嬉しいポイントです。スタッフの心配りで、さらに楽しみが広がります。

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。

歴史と自然が織りなす静かな時間を楽しめる 市川郷一宮浅間神社

市川郷一宮浅間神社は、山梨県西八代郡市川三郷町高田にある神社です。

市川郷一宮浅間神社

一宮浅間神社は、景行天皇の時代に創建された由緒ある神社です。864年の富士山大噴火後、正体山に浅間大社を祀ることが勅命により決定されました。その後、924年に現在の場所に遷宮され、長い歴史の中で幾度も再建を重ねてきました。現在の社殿は1704年に完成したものです。

市川郷一宮浅間神社

市川郷一宮浅間神社は、最寄り駅のJR身延線・市川大門駅から南へ約1キロメートルの距離に位置しています。神社の入り口には「一宮浅間神社」と刻まれた号標や石柱があります。シンプルながらも存在感のある佇まいが目を引きます。

市川郷一宮浅間神社

道路の脇には、朱色の鳥居があります。その先に続く階段が神社への入口を示しています。地形の特徴を活かしたこの設計は、参拝者を迎える象徴的な光景です。

市川郷一宮浅間神社

階段には手すりが設置されており、誰でも安心して登ることができます。段を上るごとに周囲の空気が清々しくなり、自然と心が引き締まる感覚を味わえます。

市川郷一宮浅間神社

階段を登りきると、目の前に楼門や社殿が現れます。歴史を感じさせる佇まいは圧巻で、思わず足を止めて見入ってしまいます。

市川郷一宮浅間神社

境内を歩いていると、地面に埋まる形で残された石橋が目に留まります。川が流れているわけではないのに橋があるのが独特で、訪れる人々の印象に強く残る場所です。

市川郷一宮浅間神社

さらに進むと手水舎があります。清らかな水が用意されており、心身を清めることができます。伝統的なデザインの手水舎は、静寂な境内に調和しています。

市川郷一宮浅間神社

楼門は、朱色が目を引く美しい建造物です。その二階建ての構造は力強く、近くで見ると圧倒されるような迫力があります。歴史の中で多くの参拝者を迎えてきたその姿には、重厚感と同時に歴史的価値を感じ取ることができます。

市川郷一宮浅間神社

楼門には、注連縄が飾られており、そこに紙垂が吊り下げられています。清潔に管理され、新しいように見える紙垂は、神社の神聖さが保たれていることを物語っています。自然と背筋が伸び、敬虔な気持ちになります。門をくぐると神聖な空気がさらに濃くなります。

市川郷一宮浅間神社

楼門をくぐると正面には拝殿があります。拝殿へと続く石段にはゼニゴケが広がり、独特の風情を醸し出しています。ゼニゴケは丸みを帯びた形状が特徴的で、どこか神秘的な印象を与えます。この苔が石段に広がる光景は、自然が神社とともに息づいていることを感じさせてくれます。

市川郷一宮浅間神社

一宮浅間神社では、鮮やかな朱色の社殿が目を引きます。拝殿は、歴史の中で何度も修復されながらも美しい姿を保っています。境内の無人の拝殿には書き置きの御朱印が用意されており、賽銭箱に浄財を納めることで受け取ることができます。手軽に参拝の記念を持ち帰ることができます。

市川郷一宮浅間神社

拝殿の前には、訪れる人々の目を引く掲示板が設置されています。この掲示板には、新たに生まれた命の名前が記録されており、地域の人々にとって大切な場所となっています。一宮浅間神社が地域の暮らしと深く結びついていることを象徴しています。

市川郷一宮浅間神社

拝殿の横には、御神木と思われる高さのある木が立ち、周囲にはアカマツの林が広がっています。このアカマツ林には県指定の自然記念物があり、自然の美しさを感じることができます。

市川郷一宮浅間神社

本殿と拝殿は回廊でつながっており、境内全体に統一感のある造りが施されています。

市川郷一宮浅間神社

さらに奥に進むと、鳥居と社殿が姿を現します。このエリアは、境内の中でも神聖な空間として感じられる場所です。

市川郷一宮浅間神社

そこには境内社が祀られています。境内社についての具体的な情報や由来を探すことはできませんでしたが、それぞれが神社の一部として長い年月を共にしてきたことが伺えます。

市川郷一宮浅間神社

境内には、もう一つ注目すべきポイントがあります。それは「とうろぶつさん」と呼ばれる石像です。

市川郷一宮浅間神社

この石像には「おもかる石」としての役割があります。願い事を念じて持ち上げたとき、軽く感じたら願いが叶う、重く感じたらまだ努力が必要とされています。試してみると石仏ならではの重量感があり、不思議な体験ができます。

市川郷一宮浅間神社

お地蔵さんを実際に持ち上げてみました。お地蔵さんを直接持ち上げる機会はなかなかありません。これ自体が新鮮で貴重な体験です。持ち上げたときの重さは、事前に想像していたものと大きく違いはありませんでした。願い事が叶うかどうかを試す「おもかる石」のような体験ですが、石仏ならではの重量感がしっかりと感じられます。

市川郷一宮浅間神社

市川郷一宮浅間神社は、歴史的建造物や自然に囲まれた神社です。参拝を通じて歴史と自然を感じることができます。

市川郷一宮浅間神社

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。

歴史と書の息づく空間 大門碑林公園 (前編)

大門碑林公園は、山梨県西八代郡市川三郷町市川大門にある公園です。

大門碑林公園

大門碑林公園は、市川三郷町は、和紙生産が盛んな町であり、書道用紙の生産でも知られています。この地域の特色を反映するように、町内にある大門碑林公園では、中国陝西省の西安碑林や山東省の曲阜碑林から名碑を集め、その歴史的な魅力を紹介しています。これらの碑は、特に書道や拓本の愛好家にとって非常に貴重なものです。

大門碑林公園

大門碑林公園に到着すると、その瞬間からまるで中国の伝統的な世界に足を踏み入れたかのような特別な雰囲気を感じることができます。入り口からは、典雅な中国風の建築様式や装飾が目に飛び込み、歴史の深さと文化の重みが感じられる空間が広がります。

大門碑林公園

赤い絨毯のように敷かれた道を進むと、正面には威厳を感じさせる中国の伝統的な建築様式の建物が見えてきます。この瞬間から、中国の文化や歴史に触れる準備が整った気分になります。

大門碑林公園

左手には四神獣の石像が置かれています。それぞれの神像は、壮大な表情と神秘的なオーラを放っており、見る者を圧倒します。四神は古代中国で方角を守る重要な神獣として信じられていました。

大門碑林公園

青龍は東を守り、白虎は西を、朱雀は南を、そして玄武は北を守護しています。それぞれがその方位に関連する自然や季節、または星座と結びついていて、神話や風水、占星術においても重要な役割を果たしてきました。

大門碑林公園

まず最初に目にするのが大門碑林公園の由来を記した碑です。この碑は、公園の起源や目的を記録したものです。

大門碑林公園

大門碑林公園の縁起を記したこの碑には、当時の市川大門町長の名前が大きく刻まれており、公園の設立に関わる人物としてその功績が記されています。碑文には、公園がどのようにして創設され、どのような意図で名碑が集められたのかが詳細に刻まれています。

大門碑林公園

公園の入り口には、まるで中華街にあるような建物があります。実は、これは拓本を採るための東屋で、拓本を体験できる場所です。希望すれば、有料で実際に拓本を取る体験ができます。

大門碑林公園

拓本体験は、書道愛好家にとって大変貴重な機会です。実際に碑文を拓本として採取することができ、その過程で中国の歴史をより深く感じることができます。多くの書道家がこの場所を訪れる理由は、この拓本体験にあります。

大門碑林公園

大門碑林公園は、書道愛好家にとって特別な場所です。特に拓本を目的に訪れる書道家が多く、碑文から歴史を学ぶとともに、自らの書道技術を向上させるための場となっています。

大門碑林公園

右側に目を向けると、3つの中国の伝統的な建築様式の建物が立ち並んでいます。その建物の1つ1つの中には、歴史的な碑が展示されています。

大門碑林公園

右から [1] 西嶽華山廟碑 [2] 曹全碑 [3] 張遷碑です。3つの重要な碑は、全て中国の歴史を代表するもので、その碑を通して古代中国の書法や文化を学ぶことができます。

大門碑林公園 [1] 西嶽華山廟碑 後漢(165年)

西嶽華山廟碑(せいがくかざんびょうひ)は、後漢時代に制作された碑で、隷書の代表作の一つです。この碑は、隷書の特徴である太く均整のとれた線と抑揚の大きな筆遣いが印象的で、書道史において極めて重要な位置を占めています。

大門碑林公園 [1] 西嶽華山廟碑 後漢(165年)

この碑文は、当時廃れていた西嶽華山廟を、郡守である袁逢(えんほう)が復興したことを記念して建てられました。碑には、その復興の経緯や意義が詳細に刻まれており、後世の研究においても貴重な資料とされています。原碑は明時代の地震により失われてしまいましたが、幸いにも当時採取された拓本が残されており、その拓本を基にして現代に復元されています。

大門碑林公園 [2] 曹全碑 後漢(185年)

曹全碑(そうぜんひ)は、後漢時代の官吏・曹全の功績を讃えるために制作されました。この碑は、隷書の中でも特に優れた作品とされ、文字の美しさや独特の書風が際立っています。

大門碑林公園 [2] 曹全碑 後漢(185年)

碑文には、曹全の人物像や業績が詳細に記されており、当時の政治や社会情勢を知る上でも重要な資料とされています。碑額がないという特徴を持ちながらも、その隷書の文字は女性的な柔らかさと上品さを感じさせ、歴史的にも美術的にも高く評価されています。

大門碑林公園 [3] 張遷碑 後漢(186年)

張遷碑(ちょうせんひ)は、張遷碑は、後漢時代の官吏・張遷の業績を記したもので、その文字は角ばった点画が特徴的です。この碑は隷書の作品として知られ、特にその文字の特徴的なスタイルが注目されています。

大門碑林公園 [3] 張遷碑 後漢(186年)

この碑は「曹全碑」とほぼ同時期に制作されました。刻まれた文字は、ほぼ正方形の字形を持ち、点画は角ばった力強い筆致で表現されています。そのため、同時期に作られた「曹全碑」の柔らかさとは対照的で、男性的で重厚な印象を与えます。こうした書風の違いは、隷書の多様性を理解する上で非常に興味深いものです。

大門碑林公園

大門碑林公園の各碑の前には、音声による説明を行う機械が設置されています。訪問者は、ボタンを押すことで、日本語・英語・中国語の3言語で碑の説明を聞くことができます。このシステムにより、言語の違いに関係なく、より多くの人々が碑に込められた歴史や意味を理解しやすくなっています。

大門碑林公園 拓本コーナー

大門碑林公園には、書から拓本を採ることができる特別なコーナーがあります。拓本コーナーは、書道愛好家や書の研究者にとって非常に魅力的な場所となっています。

大門碑林公園 拓本コーナー

壁面には、拓本を採るための碑がはめ込まれており、実際に自分の手でその文字を拓き、歴史と文化を肌で感じることができます。拓本の作業は、ただ文字を写すだけでなく、書道の奥深さを体験できる素晴らしい方法です。興味がある方にとって、ここはまさに「書の世界」を深く学ぶ場所となります。

大門碑林公園 [4] 九成宮醴泉銘碑 唐(632年)

さらに歩みを進めると、九成宮醴泉銘碑(きゅうせいきゅうれいせんめいひ)があります。九成宮醴泉銘碑は、中国唐代の文化と歴史を象徴する重要な碑です。唐の太宗(598年〜649年)は、隋の時代に建てられた宮殿を修復し、「九成宮」と命名しました。その際、地面から清らかな泉が湧き出たとされ、その出来事を記念して建てられたのが九成宮醴泉銘です。楷書の名手、欧陽詢(おうようじゅん、557〜641年)が刻んだこの碑文は、楷書の代表作として知られています。中国書道の中でも最高峰と評価されるその書風は、線の緊張感や均整のとれた美しさが特徴です。この書風は、日本にも伝わり、小中学校の教科書の手本に取り入れられるなど、古来より楷書を学ぶ最高の模範として広く親しまれています。

大門碑林公園

碑林を鑑賞しながらゆっくりと進んでいくと、道は次第に緩やかな坂道になり、高台へと続いていきます。このあたりまで来ると、視界が広がり、公園全体を見渡すことができるようになります。

大門碑林公園 [7] 高貞碑 北魏(523年)

高貞碑(こうていひ)は、は、北魏時代(523年)に制作された名碑であり、北魏体の代表作の一つとされています。この碑は、北魏に仕えた高貞(489年~514年)の功績を記念して建立されました。碑文には、高貞の生涯や業績が詳細に記されており、北魏時代の社会や政治情勢を知る上で非常に重要な資料です。特に注目されるのは、文字が持つ独特の書風です。北魏体は、縦画が力強く長いのに対して、横画が短く整然としており、重厚感と繊細さが同居する美しさを持っています。この書風は、後世の書道にも大きな影響を与えました。

大門碑林公園

この場所まで来ると、視界が一気に広がり、公園の外に広がる街全体を見渡すことができるようになります。高台からの眺めは格別で、眼下には公園を囲む街並みや遠くの山々が広がっています。季節や時間帯によって景色の表情も変わり、朝の澄んだ空気の中で輝く景色や、夕暮れ時のやわらかな光に包まれた風景など、訪れるたびに異なる感動を味わうことができます。

大門碑林公園 [5] 礼器碑 後漢 (156年)

礼器碑(れいきひ)は、後漢時代(156年)に制作された隷書体の碑で、「漢隷第一」と称される隷書の最高傑作の一つです。この碑は「魯相韓勅造孔廟礼器碑(ろしょうかんちょくぞうこうびょうれいきひ)」または「孔廟礼器碑(こうびょうれいきひ)」とも呼ばれています。碑文は、当時の魯の大臣であった韓勅(かんちょく)が、孔子を祀る孔廟や祭祀に用いる器物の修復を行った業績を記したものです。碑額が無いという独特の構造を持つ一方で、裏面や両側面には多くの人名が刻まれており、当時の社会や文化的背景を知る貴重な情報源となっています。この碑の隷書体は、線の太さや字形のバランスが非常に美しく、書道史においても特に高い評価を受けています。そのため、礼器碑は書道を学ぶ上での理想的な模範とされ、古くから多くの書家たちに影響を与えてきました。

大門碑林公園

大門碑林公園の上の方には、さらに多くの碑が並んでいるエリアがあるので、今から行ってみたいと思います。

それでは、また。