雄大なパノラマ 柳瀬川と武蔵野線の絶景 城山神社

城山神社は、埼玉県所沢市城にある神社です。

城山神社

城山神社は、滝の城の本丸跡(本郭跡)にある神社です。落城後は愛宕神社が祀られていましたが、1908年、村内にある天神社、熊野神社、八幡神社、稲荷神社2社、愛宕神社を合祀し、城山神社と改称しました。

城山神社

城山神社は、かつての滝の城の本丸跡に位置しています。急カーブが続く旭ヶ丘通り沿いの鳥居をくぐると、そこは静寂の世界が広がります。車の騒音が遠ざかり、鳥のさえずりと木々の葉擦れの音が心地よく響きます。

城山神社

城山神社は、滝の城址公園の高台にある神社です。鳥居を抜けると階段があります。段差や勾配は急ですが、手すりがあるので安心して上ることができます。

城山神社

階段を上り切ると、そこには城山神社の境内が広がります。深呼吸をすると、鳥のさえずりが聞こえ、日常の喧騒を忘れさせてくれます。荘厳な雰囲気の境内は、参拝者の心を鎮めます。

城山神社

城山神社の魅力は、なんといっても高台から眺める柳瀬川と武蔵野線の絶景です。高台に広がる新緑と、武蔵野線が時折音を立てながら通り過ぎるコントラストは、まるでタイムスリップしたかのような錯覚に陥ります。

城山神社

城山神社の創建年代は定かではありませんが、古くからこの地に根ざし、人々の崇敬を集めてきた神社です。滝の城の鎮守として、地域の人々の信仰を集めていましたが、時の流れとともに城は落城し、その後、愛宕社が祀られるなど、幾度となく変遷を遂げてきました。明治以降は、周辺の神社を合祀し、地域の守り神として人々に親しまれています。

城山神社 夫婦樫

城山神社の境内には、夫婦樫があります。夫婦樫は、夫婦が仲睦まじく寄り添っている姿に見立てて、夫婦樫と呼ばれています。城山神社の夫婦樫は、単に2本の木が並んでいるだけでなく、空高く絡み合いながら伸びていて、神聖な力を感じます。

城山神社

城山神社は、歴史と自然が融合した魅力的な神社です。高台からの絶景や、様々な神様への信仰など、多くの魅力があります。

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。

わらべ唄「とおりゃんせ」発祥の地 三芳野神社

三芳野神社(みよしのじんじゃ)は、埼玉県川越市郭町にある神社です。

三芳野神社

三芳野神社は、川越城の鎮守として1624年に創建されたといわれる神社です。三芳野神社は、わらべ唄「とおりゃんせ」発祥の地としても知られています。

三芳野神社

三芳野神社は、初雁公園内、川越城 本丸御殿の前に鎮座しています。境内には三芳野神社蛭子社と三芳野神社大黒社があり、どちらも一間社流造、見世棚造の簡素な建築です。

三芳野神社

川越にまだお城があった時代、三芳野神社は川越城の鎮守として城内に建てられていました。城の中にある三芳野神社は、一般庶民は普段は訪れるすることができませんが、歴代の川越城主のみならず庶民からの信仰が厚く、「お城の天神さま」として親しまれてきました。

三芳野神社

三芳野神社の拝殿は正面3間側面2間の入母屋造で背面は幣殿に接続し、本殿は正面に木階が付設され前面が幣殿に接続しています。訪れたのは8月の夏の14時過ぎです。朱塗りの社殿は、太陽の光を浴びると、その色合いがより深みを増します。日中にもかかわらず、まるで夕日が社殿に染まっているかのような幻想的な光景を生み出していました。

川越城七不思議 とおりゃんせ発祥の地

三芳野神社は、童謡「とおりゃんせ」の発祥の地とだといわれています。境内には、この伝承を伝える石碑が建てられています。三芳野神社は城内にあったため、庶民が参拝できるのは年一度の大祭の時か、七五三の祝いの時だけです。そのため、わらべ唄には「御用のないもの 通しゃせぬ」の歌詞が含まれています。

川越城七不思議 とおりゃんせ発祥の地

三芳野神社の境内や山道は広く短く、歌詞に出てくる「細い道」のイメージと合致していません。しかし、南大手門から入り、田郭門、富士見櫓を左手に見ながら進み、天神門を抜け、三芳野神社(天神さま)のお参りするルートは長く複雑です。

三芳野神社

子供を連れて7つのお祝いで訪れ、門をくぐる度に行き先を説明し、細道を迷わないように帰るという「とおりゃんせ」の歌詞や背景を知ると、三芳野神社を参拝した体験は、忘れられないものになります。

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。

天海僧正像が安置されているお堂 喜多院 慈眼堂

喜多院 慈眼堂は、埼玉県川越市小仙波町にあるお堂です。

喜多院 慈眼堂

喜多院 慈眼堂は、喜多院境内に建つお堂です。天海僧正を祀るために、1645年に徳川家光公の命により建立されました。国指定重要文化財に指定されています。

喜多院 慈眼堂

喜多院 慈眼堂は、小高い岡の上に建てられています。この丘は、7世紀初頭の古墳を利用しています。古墳は、前方後円墳と推定され、かつては地域の人々の信仰を集めていたと考えられています。

喜多院 慈眼堂

喜多院 慈眼堂は、約5.4メートル(3間)四方の比較的小さなお堂です。一般的な寺院のお堂に比べてこじんまりとしています。お堂の中には、本尊である天海僧正像をはじめ、多くの仏像が安置されています。

喜多院 慈眼堂

天海僧正は、徳川家康公の側近として活躍した僧侶で、喜多院の復興にも尽力しました。喜多院 慈眼堂は、天海僧正の功績を称えるために建立されたお堂です。

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。