禅林寺 太宰治墓・森鴎外墓は、東京都三鷹市下連雀にある墓です。

禅林寺は、三鷹市下連雀にある浄土真宗本願寺派の寺院です。八幡大神社の東隣に位置しており、落ち着いた街並みに溶け込んでいます。寺内には森鴎外(森林太郎)と太宰治の墓が並んでおり、文学に関心のある方には特に知られた場所となっています。境内は整備が行き届いており、静かな空気の中で歩くことができます。

訪れた日は、禅林寺のエントランス部分が改修中でした。足場が組まれ、作業の方々が出入りしていましたが、通行には支障がありませんでした。掲示板には工期と注意事項が書かれていて、丁寧な配慮が感じられました。普段とは少し違った雰囲気の中、静かに境内へと進むことができます。

エントランスの工事に伴い、参拝者や近隣の方々のために迂回路が設けられていました。歩行者と自転車は別ルートを通行するよう指示されており、安全面にも配慮が見られます。案内板に従って、迂回路を抜けるといつも通りの参道に合流することができます。やや遠回りになりますが、その道も静かで趣があります。

山門は堂々とした佇まいで、屋根の瓦が陽の光を受けて輝いています。獅子の留蓋や鬼瓦、シャチホコなど細部まで丁寧な意匠が施されており、じっくり眺めるだけでも楽しめます。門の左右にはトイレと梵鐘が組み込まれていて、機能性と伝統美が一体となった構造です。

墓地の入口には、太宰治と森鴎外の墓所を案内する看板が立てられています。地図形式でわかりやすく表示されており、迷うことなく目的の場所へ進むことができます。初めて訪れる方にも配慮されたつくりで、丁寧な管理が感じられます。周囲には静寂が広がり、自然と背筋が伸びます。

時刻は16時18分。案内板には「墓参は日没まで」とありました。この日の東京の日没時刻は16時28分。まさに「走れメロス」状態です。夕陽が西の空に染まりはじめる中、急ぎ足で墓所を目指します。冬の日暮れは早く、風も冷たさを増してきました。太宰治の作品を思い浮かべながら、足を速めます。

案内板に記された通りの道を進むと、太宰治の墓が静かに佇んでいました。墓石に刻まれた名前は「太宰治」。落ち葉が風に舞い、足元をかすめていきます。墓前には季節の花やお酒が供えられていました。しばし黙礼を捧げました。

太宰治の墓の斜め前に、森鴎外(森林太郎)の墓があります。この配置には意味があります。太宰治の死後、美知子夫人が夫の意思をくんで、尊敬する鴎外の近くに葬ったとされています。ふたつの墓石が静かに並ぶ様子から、時代を越えて繋がる文学者の思いを感じることができます。

森鴎外の墓は、太宰治の墓から斜め向かいに位置しています。墓石には「森林太郎」と彫られており、遺言に従って本名で刻まれました。墓前には花が供えられており、今なお多くの人の記憶に生きていることが感じられます。二人の墓が視界に収まるこの場所は、文学史のひとこまと言えます。

森鴎外の墓は元々、墨田区の弘福寺にありました。しかし関東大震災によって弘福寺が焼失し、その後の隅田公園の拡幅工事のため、墓地の移転が余儀なくされました。その際、同じ浄土真宗本願寺派に属する三鷹市の禅林寺へと移された経緯があります。歴史の流れの中で、現在の場所に静かに眠っています。

太宰治の命日である6月19日は「桜桃忌」と呼ばれています。この日には全国から文学愛好家たちが禅林寺を訪れ、墓前に花や本を供えて静かに故人を偲びます。桜桃忌の日の境内は静けさと敬意に満ちており、文学という言葉の力が時を超えて届いているように感じられます。毎年の恒例行事となっています。

禅林寺には、文学史に名を残した二人の作家の墓が静かに並んでいます。山門の意匠や境内の静寂、そして文学への敬意が感じられる空間が広がっています。エントランスの改修中という状況でありながら、案内や安全面の配慮も行き届いていました。文学に触れるひとときを過ごすことができます。
機会があれば、再度来てみたいですね。
それでは、また。