信仰と風景が交差する塚 富士塚

富士塚は、山梨県山梨市万力にある塚です。

富士塚

山梨県山梨市万力に位置する「富士塚」は、富士講によって築かれた塚で、富士山を模して作られた人工の小山です。市道「富士塚通り」の名前の由来にもなっており、冬場を中心に美しい富士山を望むことができます。周囲には季節ごとの風景が広がり、春は桃の花、夏は緑、秋は紅葉、冬は雪化粧の富士山と、四季折々の姿を楽しむことができます。

富士塚

国道140号からフルーツ公園方面に進むと、富士塚通りの入り口にシンプルな案内板があります。目立った装飾はありませんが、「富士塚→」という表示で、農道のような道へ進むよう案内されています。周囲は果樹園が点在し、果物の栽培が盛んな山梨らしい風景のなかを進むことができます。

富士塚

進んだ先には、低い丘のようにこんもりと盛り上がった富士塚があります。周囲の草木と調和し、人工物でありながら自然と一体化したような形をしています。頂上部分は平らで、小さな広場のようになっており、そこからは山梨市街地や遠くの山々を一望することができます。

富士塚

富士塚のすぐ近くには木製の説明看板が設置されています。ただ、季節によっては草が背丈ほどに伸び、看板の下部が見えにくくなることもあります。整備の手が入りにくい場所ではありますが、その分自然なままの姿を保っています。草に包まれた看板の様子も風情があります。

富士塚

もう一枚、説明版もあり、こちらには富士塚の歴史が詳しく記されています。塚の下部に設置されており、読むためには少し草をかき分ける必要があります。風雨にさらされて文字がかすれかけている部分もありますが、それもまた時の流れを感じさせてくれます。

富士塚

富士塚は、江戸時代に広まった富士講という民間信仰に基づいて築かれたもので、本来は富士山を信仰する講の一員が毎年登山していました。しかし、遠くまで行けない者のために、富士山を模した塚を築き、そこを登拝することで同様のご利益を得られると考えられていました。その信仰が、今も形としてこの地に残されています。

富士塚

富士塚は南方向に富士山が望める位置にあり、晴れた日には山頂までくっきりとその姿を見ることができます。見晴らしの良さが特徴で、甲府盆地を見下ろす雄大な景色が広がります。特に冬の澄んだ空気のなかで見る富士山は、まるで空中に浮かんでいるかのようです。

富士塚

この日は残念ながら雲が多く、富士山の姿は確認できませんでした。それでも、甲府盆地や御坂山地の稜線はしっかりと見渡すことができ、そのスケールの大きさにしばらく言葉を忘れてしまいました。天気の良い日にまた訪れて、ぜひ富士山を見てみたいところです。

富士塚

山梨市万力の富士塚は、江戸の信仰文化を現在に伝える場所であり、静かな農道の先にあります。整備されすぎていないからこそ残る素朴さが、富士山を敬う昔の人々の気持ちを想像させてくれます。天気が良ければ、甲府盆地越しの富士山の絶景を望むことができます。

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。

静謐なる平安の記憶 紫式部供養塚

紫式部供養塚は、千葉県館山市那古にある史跡です。

紫式部供養塚

千葉県館山市の那古寺の裏手に、紫式部の供養塚と伝わる塚がある場所があります。紫式部は平安時代中期の作家で、「源氏物語」の作者として広く知られています。京都に埋葬されたという説が有力ですが、全国各地に「紫式部の墓」と伝えられる場所が点在しており、ここもその一つです。この場所はかつて那古寺の本堂があったところで、歴史的背景を感じることができます。

紫式部供養塚

那古寺の境内の北には、石段があります。比較的、急な階段です。上るにつれて周囲の雰囲気が変わっていきます。寺の雰囲気から一転し、少しずつ山道らしい静けさを感じるようになります。季節によっては落ち葉が舞い、歩くたびに心地よい音を響かせます。寺の一角とは思えないほど、別世界へ足を踏み入れたような感覚になります。

紫式部供養塚

石段を進むと木々が生い茂る森の中へと入っていきます。道の途中には立て看板があり、そこには「紫式部」と記されています。簡素ながらも丁寧な案内がされており、道に迷うことはありません。歴史を重ねた土地であることが、この案内からも伝わってきます。

紫式部供養塚

木々の合間から射し込む陽の光が、足元を穏やかに照らします。森の中に現れる小さな広場は、風通しも良く、ほっと一息つけるような空間です。自然に囲まれながら、静かに時を過ごすことができます。聞こえてくるのは、鳥のさえずりと風の音だけ。人工物は最小限で、自然と人の営みが調和した雰囲気がそこにあります。

紫式部供養塚

供養塚は小高く盛り上がった土の塚で、派手な装飾や華美な建造物はなく、あくまでも静かで質素な佇まいです。すぐ側には、紫式部の人物像や作品に関する解説が丁寧に記された説明板があります。平安時代の文化や「源氏物語」の概要が記載されています。歴史的価値だけでなく、文学に触れる学びの場にもなっています。

紫式部供養塚

供養塚からさらに奥へ進むと「潮音台 展望台」と呼ばれる開けた場所に出ます。そこには紫式部の和歌が記されたパネルが設置されており、文学と風景が一体となった空間が広がっています。展望台からは館山湾を一望することができ、海と山に囲まれた景観の中で平安の歌に触れることができます。穏やかな時間を過ごすことができます。

紫式部供養塚

那古寺の裏手にひっそりと佇む紫式部供養塚は、歴史と文学を感じることができる場所です。石段を登り、森を抜け、塚に手を合わせるひとときは、現代の喧騒を忘れさせてくれます。静かな時間の中で、平安の息吹を今に感じることができます。

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。

言葉と想いが息づく山上のひととき 和泉式部供養塚

和泉式部供養塚は、千葉県館山市那古にある史跡です。

和泉式部供養塚

那古山には、ちょっとしたハイキング気分で登れる遊歩道が整備されており、頂上に近づくと静かな木陰に佇む二基の供養塚が姿を現します。ここに祀られているのは、平安時代中期の女性歌人・和泉式部とその娘である小式部内侍。母娘ともに和歌の才能に秀で、特に恋愛を題材にした情熱的な歌で知られています。

和泉式部供養塚

那古寺の裏山へと続く石段が見を登ると、木々に囲まれた静かな環境があります。石段は整備されており、足元に注意しながら登ることができます。季節ごとに変化する草木や鳥のさえずりを感じながら進むと、心が落ち着いてきます。那古寺の境内とはまた違った、山の空気が味わえる場所です。

和泉式部供養塚

潮音台 展望台の木々がつくる涼やかな陰の中に、ひっそりと石造りの供養塚が建っています。手前が和泉式部、奥が小式部内侍とされており、どちらもシンプルながら風格を感じさせます。二人がこの地で亡くなったという明確な記録はありませんが、地元では母娘の霊を慰める場として供養されてきました。恋や生き方に強い意志を持っていた彼女たちの面影が、今もこの場所に残っているように感じられます。

和泉式部供養塚

和泉式部供養塚の前には、「潮音台 展望台」と名付けられた展望台が広がります。ここからは館山湾を一望することができ、特に晴れた日には青い海と空がつながって見えるほどの絶景です。天候によっては遠くに伊豆大島の姿も確認することができます。供養塚の静けさと展望台からの開放感が対照的で、訪れる人に二つの印象を同時に与えてくれます。

和泉式部供養塚

和泉式部供養塚のそばには、和泉式部が詠んだ和歌が記されたパネルが設置されています。彼女の繊細な言葉と、今見ている風景を重ね合わせることで、詠まれた時代を少しだけ感じることができます。その句を読みながら、自然に包まれているこの空間の中で、改めて言葉の持つ力に気づくことができます。ゆっくりとその場に佇み、句を味わう時間もまた、貴重なひとときです。

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。