新府城 大手門跡は、山梨県韮崎市藤井町駒井にある史跡です。

新府城は、武田勝頼によって築かれた城です。築城は1581年ですが、未完成のまま勝頼が自ら火を放ち撤退しました。その後、徳川家康によって一時的に本陣として利用されました。城のある七里岩台地は、釜無川と塩川に挟まれた自然の要害で、地形を活かした防御構造が特徴です。現在も城跡には空堀や土塁が残り、往時の姿を感じることができます。

大手門跡へは、本丸を経由する石段を登るルートと、七里岩ライン沿いの斜面を進むルートがあります。本丸側のルートは石段が整備されており、比較的歩きやすい道ですが、勾配があるため少し体力を使います。もう一方の斜面ルートは自然のままの地形を活かしており、少しワイルドな道のりになります。どちらのルートも、それぞれ違った視点で新府城の特徴を感じることができます。

この道には車止めが設置されているため、大手門跡へは徒歩で向かうことになります。城跡は比較的広いため、歩きやすい靴で訪れるのが良さそうです。道中には土塁や堀跡が点在し、当時の防御構造を確認しながら進むことができます。

少し進むと、大手桝形虎口跡が見えてきます。ここは、土塁によって囲まれた空間で、敵の侵入を防ぐための工夫が施された場所です。周囲の地形がよくわかる地点で、外側からの視線を遮りつつ、内部では敵の動きを制限する構造になっています。現在でも土塁の形状がはっきりと残っており、戦国時代の城の防御機能を目の当たりにすることができます。
さらに進むと、視界が開ける場所に出ます。ここからは韮崎市街を一望することができ、遠くには甲府盆地や南アルプスの山々も望めます。七里岩の断崖上に位置するため、眼下には釜無川の流れも見え、自然の要害としての強みを感じることができます。防御のために築かれた城ですが、同時に優れた展望スポットでもあることが実感できます。

新府城の大手門は、土塁で囲まれた桝形虎口の外側に、半月状の高台、さらにその外側に三日月堀が配置された三重の防御構造となっています。この配置によって、侵入者の動きを制限しながら迎撃しやすい仕組みになっています。

大手門を抜けると、その先には丸馬出が広がっています。ここは、外敵の侵入を防ぐための防御施設で、内部からの機動力を生かした構造になっています。新府城が、武田氏にとって重要な拠点であったことを実感できる場所でもあります。かつてここに立っていた武田の兵たちも、同じ景色を見ていたのかもしれません。
現在、大手門跡周辺は芝生の広場として整備されています。開放的な空間で、韮崎市の地形をよく見渡すことができます。七里岩の断崖や、周囲の自然環境を見ていると、なぜこの地に城が築かれたのかが想像できます。釜無川の自然の防御ラインと、周囲を一望できる立地条件が、この場所を要塞化するのに最適だったことが伝わってきます。当時の武田軍の戦略を思い描きながら歩くと、より歴史を身近に感じることができます。

丸馬出は東西約30メートル、南北約15メートルの半月形をした平坦な防御施設で、外側には弧を描く土塁があります。敵の侵入を遅らせ、迎撃しやすい構造になっており、東西には枡形虎口も確認されています。さらにその南側10メートル下には、三日月堀が築かれています。発掘調査で、堀底が平らな「箱堀」であることが判明しており、丸馬出への侵入をさらに阻む仕組みとなっています。

大手丸馬出と三日月堀跡にはベンチが設置されています。ここで一休みしながら、城跡の雰囲気や周囲の景色を楽しむことができます。戦国時代の遺構を目の前にしながら、当時の城の機能や、武田氏の歴史に思いを馳せるのも良さそうです。七里岩の崖上という特異な地形も相まって、訪れる人々に深い印象を与える場所となっています。

新府城の大手周辺では、整備工事に先立ち、2000年から2013~2018年にかけて発掘調査が行われました。その結果、建物跡を示す石や柱穴は確認されませんでしたが、土塁や堀の遺構は完成していたことが判明し、江戸時代初期の記録にある「未完成の城」という説を裏付ける結果となりました。2019年からの整備工事では、遺構の保存を最優先としつつ、城の特徴を活かした登城体験ができるよう、土塁の補強や歩道の整備が進められています。

新府城の大手門跡は、戦国時代の防御の工夫を直接見ることができる貴重な遺構です。地形を生かした構造や、現在も残る土塁の迫力は見応えがあります。なお、新府城跡は自然豊かな環境にあり、特に夏場は虫が多く生息しています。歩いていても、蚊や小さな虫が頻繁に近寄ってきますので、虫除けスプレーや長袖の服装を用意すると安心です。
機会があれば、再度来てみたいですね。
それでは、また。