歴史を感じる文化財の宝庫 広見公園 旧稲垣家住宅

広見公園 旧稲垣家住宅は、静岡県富士市伝法にある史跡です。

広見公園 旧稲垣家住宅

旧稲垣家住宅は、静岡県富士市にある歴史的建造物で、1804年に建てられた茅葺屋根の民家です。明治時代中期に養蚕業のため屋根裏を改造し、現在の独特な兜造の屋根になりました。2009年に静岡県指定有形文化財となり、広見公園に移築・保存されています。

広見公園 旧稲垣家住宅

旧稲垣家住宅へ向かう道は、のどかな田園風景が広がっています。昔ながらの農家の姿が残る場所で、周囲の自然と調和した日本家屋の佇まいが印象的です。四季折々の風景とともに、この歴史的建築を楽しむことができます。

広見公園 旧稲垣家住宅

住宅の周囲には畑があり、耕されている様子が見られます。昔の農家の暮らしを感じられる光景で、当時の暮らしを再現しています。畑は、かつての生活の一端を伝えているようです。

広見公園 旧稲垣家住宅

建物に近づくと、重厚な茅葺屋根が目に入ります。分厚い茅が積み重なった屋根は、風雨から家を守り続けてきた証です。玄関前には広い土間があり、当時の暮らしを感じさせる伝統的な造りがそのまま残されています。柱や梁の太さからも、この家が長い年月を経て大切に保存されてきたことが伝わってきます。

広見公園 旧稲垣家住宅

訪れた日、旧稲垣家住宅では「伝えていくもの」の看板が設置されていました。隣接する「かぐや姫ミュージアム」では、先人たちの暮らしを後世に伝えるイベントが特別展示室で行われています。

広見公園 旧稲垣家住宅

屋内に入ると、旧稲垣家住宅の歴史や建築技法を紹介するパネルが展示されています。建築当時の様子や、養蚕業の工夫についても詳しく知ることができます。

広見公園 旧稲垣家住宅

旧稲垣家住宅は、養蚕に適した通風や採光の工夫、囲炉裏の熱を屋根裏に循環させる仕組みなど、当時の知恵が随所に感じられます。梁や柱の組み方、土壁の構造なども解説されており、古民家の魅力をより深く理解することができました。

広見公園 旧稲垣家住宅

旧稲垣家住宅の屋根の厚みは圧巻です。間近で見ると、何層にも重なった茅が分厚く、断熱性と耐久性に優れていることがわかります。茅がしっかりと編み込まれ、長年の風雨に耐えながら家を守り続けてきた技術の結晶です。茅葺屋根ならではの柔らかな質感もあり、時代を超えて受け継がれた職人の技を感じることができます。

広見公園 旧稲垣家住宅

旧稲垣家住宅は、江戸時代の農家建築として貴重な存在です。歴史とともに生きてきた建物が、今も語りかけるものがあります。

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。

明治時代の郵便局の面影を今に伝える ふるさと村 旧小平小川郵便局舎

旧小平小川郵便局舎は、東京都小平市天神町にある史跡です。

旧小平小川郵便局舎

旧小平小川郵便局舎は、1908年に建設された和風の平屋建築で、日本に現存する郵便局舎の中では特に古いものの一つです。当初は集配業務を担当しており、また昭和初期からは電話交換業務も行っていました。その建物は、赤茶色の屋根に、鉄格子が施された窓口が特徴的で、屋根の2か所には〒マークが取り付けられています。この建物は、明治末期から大正期にかけての郵便局の様子を知ることができる貴重な遺産です。

旧小平小川郵便局舎

1983年1月まで地域住民によって親しまれて使用され、その後は文化財として保存されることとなりました。1983年3月31日には小平市指定有形文化財第1号として登録され、現在もその姿を残しています。建物の構造は、木造平屋建、鉄板平茅葺入母屋造りで、延床面積は128.88平方メートルに及びます。明治41年11月15日に竣工され、旧所在地は小平市小川町1丁目2072番地でした。解体工事は1990年7月3日から行われ、その後保存されることとなりました。

旧小平小川郵便局舎

旧小平小川郵便局舎は、当時の郵便局の風情を知る貴重な証人となっており、その歴史的価値を今に伝えています。

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。

  • 2022/09/10 初版
  • 2024/04/20 更新

当時の面影を残す場所 貨物引込線(万上線)跡

貨物引込線(万上線)跡は、千葉県流山市流山にある史跡です。

貨物引込線(万上線)跡

貨物引込線(万上線)跡は、流山電鉄から流山キッコーマンまで荷物を運ぶための線路「万上線」の跡です。1929年から1969年まで使用されていました。この線路は、キッコーマンにみりんや醤油を届けるために活用され、その後は貨物引込線としても使われていました。現在では、その跡が道路として残っています。案内板も設置されており、歩いて見るとその歴史を感じることができます。

貨物引込線(万上線)跡

案内板には、当時の航空写真が添付されており、貨物引込線がどのように繋がっていたのかを見ることができます。また、現代の道路の曲線具合は当時の線路のカーブがそのまま残されており、過去の姿をしっかりと感じ取ることができます。ここを歩くことで、当時の雰囲気を身近に感じることができるでしょう。

貨物引込線(万上線)跡

案内板には、当時の工場の写真も添えられており、その歴史を物語っています。流山電鉄を利用して輸送された荷物は、キッコーマンの工場で加工され、出荷されていました。写真を見ながら、工場の目の前にどのような貨物引込線があったのかを想像すると、当時の活気を感じることができます。

貨物引込線(万上線)跡

現在、貨物引込線が通っていた場所は広い道路となり、過去の面影を残しつつも静かな雰囲気が漂っています。周囲の風景は変わってしまっていますが、案内板を目にしたり、足元に残る道路の曲線を辿ったりすることで、あの頃の面影をひっそりと感じることができます。過去と現在が交差する場所として、訪れる価値があります。

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。