信玄公が甲府盆地を眺めていた場所 躑躅ヶ崎遊亭跡

躑躅ヶ崎遊亭跡は、山梨県甲府市古府中町にある史跡です。

躑躅ヶ崎遊亭跡

躑躅ヶ崎遊亭跡は、躑躅ヶ崎館跡の近くにある史跡です。この地は、武田氏の居城であった躑躅ヶ崎館跡のすぐ近で、信玄公がしばしば訪れて甲府盆地を眺めていた場所と伝えられています。

躑躅ヶ崎遊亭跡

躑躅ヶ崎遊亭跡へ向かうには、竜華池の展望台を通ります。途中の展望台からは、甲府盆地が眼下に広がり、その雄大なスケールに圧倒されます。

躑躅ヶ崎遊亭跡

躑躅ヶ崎遊亭跡は、展望台から右に折れた道の先にあります。

躑躅ヶ崎遊亭跡

道中には、急な坂や岩場などがあり、比較的険しい道のりです。

躑躅ヶ崎遊亭跡

しばらく進んでいくと、躑躅ヶ崎遊亭跡の看板がありました。周囲はやや平坦な地形で、かつて信玄公が悠然と時を過ごしたであろう静けさが漂っています。

躑躅ヶ崎遊亭跡

武田信玄をはじめとする武田氏の当主たちは、この場所から甲府盆地や城下町を眺めて、戦略を練ったり、休憩したりしていたと考えられています。現在、この場所には金比羅神社が建っていますが、かつては信玄が建てたあずまやがあったと伝えられています。

躑躅ヶ崎遊亭跡

躑躅ヶ崎遊亭跡で信玄公がここに立ち、何を想っていたのでしょうか。歴史ロマンを感じずにはいられない史跡です。

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。

圧倒的な存在感のある538体の石像 喜多院 五百羅漢

喜多院 五百羅漢は、埼玉県川越市小仙波町にある史跡です。

喜多院 五百羅漢

喜多院 五百羅漢は、五百羅漢と呼ばれる石像がある史跡です。羅漢は、悟りを開いた高僧のことで、喜怒哀楽をユーモラスに表現した538体の羅漢の石像が並んでいます。

喜多院 五百羅漢

喜多院 五百羅漢を観覧するには、拝観券が必要です。五百羅漢の拝観券は、非常にシンプルで、喜多院のシンボルである喜多院 多宝塔が描かれたデザインになっています。

喜多院 境内みやげ品店

五百羅漢のエントランスは、境内みやげ品店の横にあります。

喜多院 五百羅漢

受付は無人でした。

喜多院 五百羅漢

羅漢は、すべて異なる表情やポーズで造られています。石像は、1782年から1825年の約50年間にわたり建立されました。ずらりと並ぶ五百羅漢像の前に立つと、圧倒的な存在感と多様性に圧倒されます。

喜多院 五百羅漢

羅漢は、すべて異なる表情とポーズで造られています。中には、笑ったり、泣いたり、怒ったり、考え事をしたりと、まるで人間のような表情をした羅漢もいます。

喜多院 五百羅漢

ポーズによっては、お賽銭が起きやすい羅漢があります。写真のように、絶妙なバランスで置かれた小銭は、参拝者が「この羅漢なら、きっとお賽銭を落としても受け止めてくれるだろう」と願いを込めて置いたものです。

喜多院 五百羅漢

本当にさまざまな表情をした羅漢があります。深夜こっそりと羅漢さまの頭をなでると、一つだけ必ず温かいものがあり、それは亡くなった親の顔に似ているのだという言い伝えも残っています。

喜多院 五百羅漢

羅漢の中に、パンフレットなどで紹介され、五百羅漢の中でも特に有名な像を見つけました。2体の羅漢像は、それぞれ異なる表情とポーズで造られています。一方は、もう一方の耳元で何かを呟き、もう一方は、その言葉を真剣に聞き入れているように見えます。

喜多院 五百羅漢

喜多院 五百羅漢は、多くの人が訪れるパワースポットです。

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。

歴史ロマン漂う戦国時代の城郭 菅谷館跡

菅谷館跡(すがややかたあと)は、埼玉県比企郡嵐山町菅谷にある史跡です。

菅谷館跡

菅谷館跡は、比企丘陵のほぼ中央、都幾川の清流を眼下に望む場所にある史跡です。菅谷館跡は、鎌倉時代に武蔵武士の畠山重忠が居住した所と伝えられています。

埼玉県立嵐山史跡の博物館

菅谷館跡には、約13万平方メートル(東京ドーム約3個分)に及ぶ広大な敷地に、土塁や堀などの遺構が残されています。1973年に国の史跡に指定されました。中世日本の城郭を知る上で貴重な史跡です。

埼玉県立嵐山史跡の博物館

菅谷館跡は、埼玉県立嵐山史跡の博物館の建物の奥、南側にあります。菅谷館跡と埼玉県立嵐山史跡の博物館を合わせて見学することで、比企地域の戦国時代の歴史についてより深く理解することができます。

菅谷館跡 二の郭

菅谷館跡 二の郭は、菅谷館跡の中心的な郭の一つです。本郭の北側に位置しています。東西約250メートル、南北20から50メートルの細長い形の郭です。

菅谷館跡 本郭

菅谷館跡 本郭は、畠山重忠の居城跡とされる菅谷館跡の中心的な郭です。この平坦な土地は、かつて重忠の屋敷や家臣たちの住居が立ち並んでいた場所と伝わります。周囲は高い土塁と深い堀に囲まれ、堅牢な造りとなっています。

菅谷館跡

菅谷館跡のある台地の南側は、都幾川の流れにより浸食されて切り立った崖になっています。東側と西側には、台地に直行する谷が幾筋も形成されて、菅谷館跡は、これらの地形を巧みに利用し、複雑な縄張りを構成しています。

菅谷館跡

目を閉じれば、重忠や家臣たちがこの場所で生活していた様子が目に浮かびます。歴史ロマンに浸りながら、想像力を膨らませるのも楽しいですね。

菅谷館跡

菅谷館跡は、鎌倉時代の武将、畠山重忠の栄枯盛衰を今に伝える貴重な存在です。

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。