復元された歴史的な建物 浦賀燈明堂

浦賀燈明堂は、神奈川県横須賀市西浦賀にある史跡です。

浦賀燈明堂

浦賀燈明堂(とうみょうどう)は浦賀港の近くにあり、かつて港に出入りする船の灯台の役割をしていました。菜種油で灯された光は海上4海里(7.4キロメートル)まで照らしたといわれています。

浦賀燈明堂への道

浦賀燈明堂は、燈明堂海岸の突き出した小さな岬の先端部分にあり、岬の海岸線に沿って散策道が続いていました。まもなく日が暮れる時間になり、風がとても強く、辺りには誰もいないので、なかなかいい雰囲気が出ています。

浦賀燈明堂

浦賀燈明堂は、観音埼灯台ができあがり、1872年に廃止されるまでの約220年間、一日も休まずに航路の安全を守ってきました。建物は明治20年代まで残っていたそうですが、風雨で崩壊し石垣だけが残されていたのを、1988年に、残った石垣の上に当時の外観に復元したのが現在の建物になります。

岩礁

小さな岬に建つ燈明堂の周りは、澄んだ岩礁の海を間近に感じることができます。近くには燈明堂海岸の砂浜があり、沖合いには多くの船が行き交うのを見ることができます。

供養塔

燈明堂周辺は浦賀湾と東京湾に広々と望む公園として整備されていますが、駐車場付近には供養碑が建てられていました。かつて、ここは浦賀奉行所の処刑場で、首切場だったそうです。

浦賀燈明堂付近

しかし、今ではそのような雰囲気は感じられないほど美しい絶景スポットになっていました。

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。

古き良き武蔵野の風景 徳冨蘆花旧宅

徳冨蘆花(とくとみろか)旧宅は、東京都世田谷区粕谷にある史跡です。

徳冨蘆花旧宅

徳冨蘆花旧宅は、明治の文豪で小説家の徳冨蘆花が居住した家屋です。その時の家屋は、土地や徳冨蘆花の遺品とともに東京市(当時)に寄贈され、現在まで残されています。

蘆花恒春園

徳冨蘆花は、移り住んだこの場所を「恒春園」と命名しました。その名前は現在でも引き継がれ、徳冨蘆花旧宅は、都立蘆花恒春園(ろかこうしゅんえん)の敷地内にあります。

母屋(茅屋)

徳冨蘆花旧宅のエントランスに入ると、茅葺き屋根の母屋があります。園内には徳冨盧花自身が植えた竹林やクヌギなどの雑木があり、古き良き武蔵野の風景が色濃く残っていますね。

梅家書屋

梅花書屋は1909年に蘆花が近隣の古家を購入し、移築したものだそうです。屋敷の名前は、西郷隆盛の書道の師である鮫島白鶴書の「梅花書屋」の額に由来し、母屋と踏石を渡って往復したと書かれていましたが、現在は渡り廊下で繋がっています。

秋水書院

さらに奥に進むと、明治時代のジャーナリストの幸徳秋水にちなんで命名された「秋水書院」がありました。1911年に移築された建物で、書斎と寝室として利用されていたそうです。

蘆花記念館

蘆花記念館は、家屋とともに寄贈された蘆花の作品の原稿や愛用品、手紙などの遺品を展示、公開する記念館です。

芦花記念館

写真撮影禁止となっていたので写真はありませんが、芦花記念館では数ヶ月ごとに企画展示が入れ替えられ、ボランティアによるガイドも定期的に実施されているそうです。

地蔵様

記念館の他にも、徳冨蘆花旧宅の東側には徳冨蘆花夫妻の墓碑がひっそりと佇み、蘆花記念館の目の前には立派な竹林があり、時期になると見事な紅葉を楽しむことができます。徳冨蘆花旧宅は、武蔵野の面影が残る貴重な場所ですね。

機会があれば、再度来てみたいと思います。

それでは、また。

関所に付随する簡易宿場 甲州街道駒木野宿碑

甲州街道駒木野宿碑は、東京都八王子市裏高尾町にある史跡です。

甲州街道駒木野宿碑

駒木野宿は、小仏関所が1616年に小仏山頂からこの地へ移転した事に伴い開かれた宿場です。

甲州街道駒木野宿跡

日本橋から始まる甲州街道筋は、内藤新宿、下高井戸、上高井戸、国領、下布田、上布田、下石原、上石原、府中、日野、八王子、そして駒木野に至ります。駒木野宿は、関所に付随する簡易宿場という位置付けだったので、当初から小さな宿場でした。現在は広場のようになっていて、宿場や関所の面影や形跡は見当たりません。

甲州街道駒木野宿跡 梅の花

甲州街道駒木野宿跡では、ちょうど梅の花が咲き始めて見頃を迎えようとしていました。

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。

  • 2020/02/09 初版
  • 2022/05/15 更新