歴史ロマン漂う戦国時代の城郭 菅谷館跡

菅谷館跡(すがややかたあと)は、埼玉県比企郡嵐山町菅谷にある史跡です。

菅谷館跡

菅谷館跡は、比企丘陵のほぼ中央、都幾川の清流を眼下に望む場所にある史跡です。菅谷館跡は、鎌倉時代に武蔵武士の畠山重忠が居住した所と伝えられています。

埼玉県立嵐山史跡の博物館

菅谷館跡には、約13万平方メートル(東京ドーム約3個分)に及ぶ広大な敷地に、土塁や堀などの遺構が残されています。1973年に国の史跡に指定されました。中世日本の城郭を知る上で貴重な史跡です。

埼玉県立嵐山史跡の博物館

菅谷館跡は、埼玉県立嵐山史跡の博物館の建物の奥、南側にあります。菅谷館跡と埼玉県立嵐山史跡の博物館を合わせて見学することで、比企地域の戦国時代の歴史についてより深く理解することができます。

菅谷館跡 二の郭

菅谷館跡 二の郭は、菅谷館跡の中心的な郭の一つです。本郭の北側に位置しています。東西約250メートル、南北20から50メートルの細長い形の郭です。

菅谷館跡 本郭

菅谷館跡 本郭は、畠山重忠の居城跡とされる菅谷館跡の中心的な郭です。この平坦な土地は、かつて重忠の屋敷や家臣たちの住居が立ち並んでいた場所と伝わります。周囲は高い土塁と深い堀に囲まれ、堅牢な造りとなっています。

菅谷館跡

菅谷館跡のある台地の南側は、都幾川の流れにより浸食されて切り立った崖になっています。東側と西側には、台地に直行する谷が幾筋も形成されて、菅谷館跡は、これらの地形を巧みに利用し、複雑な縄張りを構成しています。

菅谷館跡

目を閉じれば、重忠や家臣たちがこの場所で生活していた様子が目に浮かびます。歴史ロマンに浸りながら、想像力を膨らませるのも楽しいですね。

菅谷館跡

菅谷館跡は、鎌倉時代の武将、畠山重忠の栄枯盛衰を今に伝える貴重な存在です。

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。

奈良時代の面影を残す貴重な遺跡 相模国分寺跡

相模国分寺跡は、神奈川県海老名市国分南にある史跡です。

相模国分寺跡

史跡相模国分寺跡は、741年に「国分寺建立の詔(みことのり)」によって建てられた寺院跡です。史跡相模国分寺跡は、海老名駅の東、約500メートルの台地上にあります。

相模国分寺跡

相模国分寺跡は、1921年に国の史跡に指定されました。周囲には宅地が広がります。史跡相模国分寺跡は歴史公園として整備され、市民をはじめ来訪者の憩いの場となっています。

相模国分寺跡 七重塔跡

1965年頃から行われた発掘調査によって、相模国分寺跡からは、七重塔跡が発見されました。国分寺のシンボルともいえる七重塔は、高さ1メートルほどの基壇上に建てられていたことが分かっています。

相模国分寺跡 七重塔跡

古代建築学に基づく推定では、相模国分寺跡の七重塔は高さ65メートルもあったとされています。これは、現存する五重塔の中でも最も高い奈良の大和塔(東大寺)よりもさらに高く、当時の壮麗さを偲ばせるものです。

相模国分寺跡 七重塔跡

相模国分寺跡の七重塔跡に立って目を閉じれば、1200年以上前の風景を想像できるかもしれません。七重塔跡の復元された姿は、海老名中央公園の「七重の塔モニュメント」や、海老名市立郷土資料館「海老名市温故館」内で見ることができます。

相模国分寺跡 金堂跡

国分寺の主要伽藍配置は、東側に金堂・西側に塔、北側中心部に講堂を配し周囲を中門・回廊で囲む、奈良県にある法隆寺と同じ「法隆寺式」です。金堂跡は、高さ1メートルほどの基壇上に、16個の礎石が現存しています。現在の相模国分寺跡は、一部伽藍の基壇や平面形が復元され、当時の様子をうかがい知ることができます。

伽藍配置 国分寺の主要伽藍(建物)配置は、奈良県にある法隆寺と同じ、「法隆寺式」という配置をとります。全国の国分寺では大 変珍しい配置で数例しか確認されていません。
塔跡

相模国分寺跡 中門・回廊跡

相模国分寺跡の中門・回廊跡は、簡単な盛土の基壇と考えられていますが、削平されてしまっており、詳細は不明です。発掘調査によって礎石が確認されていますが、全体的な構造や規模は解明されていません。

相模国分寺跡 中門・回廊跡

相模国分寺跡は、歴史ロマンをかき立てる、歴史と文化が息づく千年の聖地です。

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。

大手門前の発掘整備 武田氏館跡 大手門東史跡公園

武田氏館跡 大手門東史跡公園は、山梨県甲府市古府中町にある公園です。

武田氏館跡 大手門東史跡公園

武田氏館跡 大手門東史跡公園は、山梨県甲府市にある史跡公園です。武田氏の居城であった武田氏館跡の一部で、大手門東側の郭門と土塁などが復元されています。

武田氏館跡 大手門東史跡公園

武田氏館跡 大手門東史跡公園は、武田神社の東側にあります。現在の武田神社は、南門が正面となっていますが、武田氏の館時代の大手門は東側にあり、こちらが本来の正面玄関口でした。

武田氏館跡 大手門東史跡公園

園内には、武田氏館跡の歴史や武田信玄公に関する資料を紹介するパネルが置かれています。

武田氏館跡 大手門東史跡公園

園内には当時の状態を復元した土塁がありました。この土塁は、武田氏館跡を囲んでいた土塁の一部を復元したもので、当時の防衛施設の様子を体感することができます。夏の時期には、土塁は青々とした木々に覆われています。

武田氏館跡 大手門東史跡公園

土塁の様子は、秋の方が、形をはっきりと見ることができます。秋になると、土塁周辺の草木が枯れ落ち、土塁の形状がより鮮明に観察することができます。

武田氏館跡 大手門東史跡公園

大手門東史跡公園の堀には、ハスが植えられていて、夏になると一面にハスの葉が広がります。ハスの葉は、緑色の大輪が水面に浮かび、涼しげな雰囲気を演出しています。

武田氏館跡 大手門東史跡公園

武田氏館跡 大手門東史跡公園の秋は、周囲の木々が色鮮やかに染まり、まるで歴史絵巻の中に迷い込んだような、幻想的な風景が広がります。武田氏館跡 大手門東史跡公園は、歴史と自然が融合する素晴らしい場所です。

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。

  • 2021/12/12 初版
  • 2023/08/25 更新
  • 2023/11/24 更新