奈良時代の面影を残す貴重な遺跡 相模国分寺跡

相模国分寺跡は、神奈川県海老名市国分南にある史跡です。

相模国分寺跡

史跡相模国分寺跡は、741年に「国分寺建立の詔(みことのり)」によって建てられた寺院跡です。史跡相模国分寺跡は、海老名駅の東、約500メートルの台地上にあります。

相模国分寺跡

相模国分寺跡は、1921年に国の史跡に指定されました。周囲には宅地が広がります。史跡相模国分寺跡は歴史公園として整備され、市民をはじめ来訪者の憩いの場となっています。

相模国分寺跡 七重塔跡

1965年頃から行われた発掘調査によって、相模国分寺跡からは、七重塔跡が発見されました。国分寺のシンボルともいえる七重塔は、高さ1メートルほどの基壇上に建てられていたことが分かっています。

相模国分寺跡 七重塔跡

古代建築学に基づく推定では、相模国分寺跡の七重塔は高さ65メートルもあったとされています。これは、現存する五重塔の中でも最も高い奈良の大和塔(東大寺)よりもさらに高く、当時の壮麗さを偲ばせるものです。

相模国分寺跡 七重塔跡

相模国分寺跡の七重塔跡に立って目を閉じれば、1200年以上前の風景を想像できるかもしれません。七重塔跡の復元された姿は、海老名中央公園の「七重の塔モニュメント」や、海老名市立郷土資料館「海老名市温故館」内で見ることができます。

相模国分寺跡 金堂跡

国分寺の主要伽藍配置は、東側に金堂・西側に塔、北側中心部に講堂を配し周囲を中門・回廊で囲む、奈良県にある法隆寺と同じ「法隆寺式」です。金堂跡は、高さ1メートルほどの基壇上に、16個の礎石が現存しています。現在の相模国分寺跡は、一部伽藍の基壇や平面形が復元され、当時の様子をうかがい知ることができます。

伽藍配置 国分寺の主要伽藍(建物)配置は、奈良県にある法隆寺と同じ、「法隆寺式」という配置をとります。全国の国分寺では大 変珍しい配置で数例しか確認されていません。
塔跡

相模国分寺跡 中門・回廊跡

相模国分寺跡の中門・回廊跡は、簡単な盛土の基壇と考えられていますが、削平されてしまっており、詳細は不明です。発掘調査によって礎石が確認されていますが、全体的な構造や規模は解明されていません。

相模国分寺跡 中門・回廊跡

相模国分寺跡は、歴史ロマンをかき立てる、歴史と文化が息づく千年の聖地です。

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。

大手門前の発掘整備 武田氏館跡 大手門東史跡公園

武田氏館跡 大手門東史跡公園は、山梨県甲府市古府中町にある公園です。

武田氏館跡 大手門東史跡公園

武田氏館跡 大手門東史跡公園は、山梨県甲府市にある史跡公園です。武田氏の居城であった武田氏館跡の一部で、大手門東側の郭門と土塁などが復元されています。

武田氏館跡 大手門東史跡公園

武田氏館跡 大手門東史跡公園は、武田神社の東側にあります。現在の武田神社は、南門が正面となっていますが、武田氏の館時代の大手門は東側にあり、こちらが本来の正面玄関口でした。

武田氏館跡 大手門東史跡公園

園内には、武田氏館跡の歴史や武田信玄公に関する資料を紹介するパネルが置かれています。

武田氏館跡 大手門東史跡公園

園内には当時の状態を復元した土塁がありました。この土塁は、武田氏館跡を囲んでいた土塁の一部を復元したもので、当時の防衛施設の様子を体感することができます。夏の時期には、土塁は青々とした木々に覆われています。

武田氏館跡 大手門東史跡公園

土塁の様子は、秋の方が、形をはっきりと見ることができます。秋になると、土塁周辺の草木が枯れ落ち、土塁の形状がより鮮明に観察することができます。

武田氏館跡 大手門東史跡公園

大手門東史跡公園の堀には、ハスが植えられていて、夏になると一面にハスの葉が広がります。ハスの葉は、緑色の大輪が水面に浮かび、涼しげな雰囲気を演出しています。

武田氏館跡 大手門東史跡公園

武田氏館跡 大手門東史跡公園の秋は、周囲の木々が色鮮やかに染まり、まるで歴史絵巻の中に迷い込んだような、幻想的な風景が広がります。武田氏館跡 大手門東史跡公園は、歴史と自然が融合する素晴らしい場所です。

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。

  • 2021/12/12 初版
  • 2023/08/25 更新
  • 2023/11/24 更新

徐々に明らかになる津久井城の歴史 津久井湖城山公園 御屋敷跡

津久井湖城山公園 御屋敷跡は、神奈川県相模原市緑区根小屋にある史跡です。

津久井湖城山公園 御屋敷跡

津久井湖城山公園は、戦国時代の山城「津久井城」跡の城山と、城山ダム両岸一帯に広がる、自然と歴史の宝庫の公園です。御屋敷跡は、津久井城主の居館があったとされる史跡です。

津久井湖城山公園 御屋敷跡

御屋敷跡の発掘調査では、戦国時代の数回にわたる曲輪の移り変わりの様子が明らかになりました。遺構は掘立柱建物跡や焔硝蔵跡、空堀、土塁跡などが、遺物は貿易・国産陶磁器やかわらけ、金を精錬したと思われるかわらけ片などが見つかっています。

津久井湖城山公園 御屋敷跡

現在の御屋敷跡は、一面緑の芝生の広場になっています。土の下には未知の遺構が眠っていて、毎年、発掘調査が行われています。これからも新たな発見がなされるかもしれません。

津久井湖城山公園 御屋敷跡

御屋敷跡の南にある津久井湖城山公園 パークセンターでは、津久井城の案内や展示が行われていて、そこでは、最新の調査情報も展示されています。

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。