徐々に明らかになる津久井城の歴史 津久井湖城山公園 御屋敷跡

津久井湖城山公園 御屋敷跡は、神奈川県相模原市緑区根小屋にある史跡です。

津久井湖城山公園 御屋敷跡

津久井湖城山公園は、戦国時代の山城「津久井城」跡の城山と、城山ダム両岸一帯に広がる、自然と歴史の宝庫の公園です。御屋敷跡は、津久井城主の居館があったとされる史跡です。

津久井湖城山公園 御屋敷跡

御屋敷跡の発掘調査では、戦国時代の数回にわたる曲輪の移り変わりの様子が明らかになりました。遺構は掘立柱建物跡や焔硝蔵跡、空堀、土塁跡などが、遺物は貿易・国産陶磁器やかわらけ、金を精錬したと思われるかわらけ片などが見つかっています。

津久井湖城山公園 御屋敷跡

現在の御屋敷跡は、一面緑の芝生の広場になっています。土の下には未知の遺構が眠っていて、毎年、発掘調査が行われています。これからも新たな発見がなされるかもしれません。

津久井湖城山公園 御屋敷跡

御屋敷跡の南にある津久井湖城山公園 パークセンターでは、津久井城の案内や展示が行われていて、そこでは、最新の調査情報も展示されています。

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。

日本とロシアの交流の歴史を物語る重要な場所 ロシア人日本初上陸の地

ロシア人日本初上陸の地は、千葉県鴨川市天津にある史跡です。

ロシア人日本初上陸の地

ロシア人日本初上陸の地は、ロシアのオホーツク探検事業として、シュバンベルグが率いる
船団のうちの1隻、ヴァリトン大尉が指揮するガヴリエル号の乗組員数名が、ボートで天津村布入の地に上陸した地といて知られている史跡です。

ロシア人日本初上陸の地

それは、1739年の6月19日昼時のことです。当時、日本は鎖国政策をとっていて、ロシアとの外交関係はありませんでした。そのため、ロシア人の上陸は、日本の外交史上においても重要な出来事となりました。

ロシア人日本初上陸の地

ロシア人日本初上陸の地は、ニタ間海岸にある住宅地の駐車場の中にひっそりと佇んでいます。ロシア人初上陸の地は、日本とロシアの交流の歴史を物語る重要な場所です。

ロシア人日本初上陸の地

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。

詳細は不明な史跡 八王子城 柵門跡

八王子城 柵門跡は、東京都八王子市元八王子町にある史跡です。

八王子城 柵門跡

八王子城 柵門跡は、山頂の本丸方面へ続く道の尾根上に築かれた平坦地で、柵門跡と呼ばれています。名前の由来など、本当「柵門」があったかは不明だそうです。

八王子城 柵門跡

山道の分岐点にもなっている八王子城 柵門跡にはベンチが置かれています。本丸跡までは、まだ距離があるので、ここで休憩し、残りの登山に備えることができます。

八王子城跡

八王子城 柵門跡から本丸跡方面へ少し進むと、見晴らしの良い場所がありました。

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。