静寂に包まれた聖域 竜塚古墳

竜塚古墳は、山梨県笛吹市八代町米倉にある古墳です。

竜塚古墳

竜塚古墳は、甲府盆地を一望できる丘陵上に位置する古墳です。1辺は約56メートル、高さは約7メートル、2段築成で上段斜面は葺石に覆われています。5世紀前半に作られた竜塚古墳は、真上から見ると四角い形をしためずらしい古墳です。

竜塚古墳

周囲には道路と畑があります。築造時期の方墳として、東日本最大規模とされています。2004年に山梨県の史跡に指定されました。

竜塚古墳

竜塚古墳には、説明パネルが設置されていました。周囲には駐車場もなく、少し行きにくい場所にあるため観光客はいませんでした。

竜塚古墳

竜塚古墳には、説明パネルが設置されているため、その歴史や文化的な背景を知ることができます。しかし、説明パネルがなければ、単なる丘のように見えてしまうかもしれません。竜塚古墳には、散策路や登り道も整備されていませんでした。

竜塚古墳

柔らかい草木が生い茂っているふかふかの絨毯のような斜面を登り切ると、頂上には祠がありました。頂上からは、遠方に市街地の様子や南アルプスの山々を望むことができます。

竜塚古墳

古墳は、権力者の 墓として造られたと考えられています。頂上からの景色は、権力者が自分の領地を見渡せる場所として、この場所を選んだことを示唆しているのかもしれません。この景色は、古墳の歴史と文化的な背景を物語っていることは明らかです。

竜塚古墳

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。

国内最大・最古の上円下方墳 武蔵府中熊野神社古墳

武蔵府中熊野神社古墳は、東京都府中市西府町にある古墳です。

武蔵府中熊野神社古墳

武蔵府中熊野神社古墳は、調査で確認され墳丘に石が塞がれた古墳の中で、国内最大・最古の上円下方墳です。築造年代は、墳丘の構築状況や石室の形状などから7世紀の中頃と考えらています。2005年に国の史跡に指定されました。

武蔵府中熊野神社古墳

武蔵府中熊野神社古墳は、1段目が約32メートルの方形、2段目が約24メートルの方形、3段目が直径約16メートルの円形を呈する3段築成の古墳です。高さは復元高で約6メートルを測ります。

武蔵府中熊野神社古墳

武蔵府中熊野神社古墳の被葬者(ひそうしゃ)のは不明ですが、武蔵国府設置直前に大きな力を持っていた人物の墓と考えられます。古墳からは、七曜文(しちようもん)の銀象嵌(ぎんぞうがん)が施された鞘尻金具(はさやじりかなぐ)が出土し、注目を集めました。

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。

当時の古墳としては東日本最大級 甲斐銚子塚古墳

甲斐銚子塚古墳は、山梨県甲府市下曽根町にある古墳です。

甲斐銚子塚古墳

甲斐銚子塚古墳は、1930年に国指定史跡に指定された前方後円墳です。甲斐銚子塚古墳は、美しい自然と歴史的な遺跡が調和した山梨県曽根丘陵公園の一角にあります。

甲斐銚子塚古墳

甲斐銚子塚古墳は4世紀後半に造られ、全長は169メートル、後円部の直径は92メートル、高さは15メートル、前方部の幅は68メートル、高さは8.5メートルあります。同時期の古墳としては東日本最大級です。

甲斐銚子塚古墳

山梨県曽根 丘陵公園に足を踏み入れると、小高い丘が見えます。この丘は、甲斐銚子塚古墳の前方部です。墳丘には埴輪樹立があり、青空とのコントラストを楽しむことができます。

甲斐銚子塚古墳

古墳の保護や保存のため立ち入り禁止となっている古墳も多く存在しますが、甲斐銚子塚古墳は登ることができます。急斜面の墳丘には階段が整備され、安全に登ることができます。

甲斐銚子塚古墳

墳丘の上部にたどり着くと、後円部が見えてきました。後円部の特徴的な形状を確認することができます。

甲斐銚子塚古墳

前方部と後円部の接続部分のくびれ箇所の幅はとても狭く、木も植えられているので注意して進みます。

甲斐銚子塚古墳

甲斐銚子塚古墳の後円部は高さが15メートルもあり、ビルの階層に換算すると、約4から5階分に相当します。とても高く感じます。

甲斐銚子塚古墳

埴輪樹立の下には落ち葉が積もっていて、季節の移り変わりや自然の営みを感じさせてくれます。後円部から眺める景色も魅力的で、甲府盆地の街並みや周囲の山々の稜線は、秋の風情と美しさを一緒に楽しむことができます。

甲斐銚子塚古墳

甲斐銚子塚古墳の周囲には、説明パネルが各所に設置されています。説明パネルは古墳の歴史や特徴についての情報が詳しく書かれているので、訪れる人々が古墳をより深く理解する手助けになります。

甲斐銚子塚古墳

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。