メジャーリーグ対戦相手 全日本チーム 読売巨人軍発祥の地

読売巨人軍発祥の地は、千葉県習志野市谷津にある発祥の地です。

読売巨人軍発祥の地

読売巨人軍発祥の地は、谷津公園内の谷津バラ園の入口右手にあり、横幅は約4メートル程度の記念碑が置かれています。

読売巨人軍発祥の地

記念碑には、有名な巨人軍関係者の手形が並んでいます。

「読売巨人軍発祥の地」碑

1934年に アメリカのメジャーリーグの一行が日本へ来た際に、その対戦相手をするために臨時に全日本チームが編成されました。後になって、このチームが読売巨人軍誕生へと繋がっていきます。その全日本チームの練習のために提供されたのが、谷津遊園内のグラウンドだったことから、この場所が巨人軍発祥の地とされたそうです。

「読売巨人軍発祥の地」碑

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。

戊辰戦争の史跡 母成峠古戦場碑

母成峠古戦場碑は、福島県耶麻郡猪苗代町蚕養にある記念碑です。

母成峠古戦場碑

母成峠古戦場碑は、福島県南会津郡南会津町母成峠にある戊辰戦争の史跡です。母成峠は、戦争中に新政府軍と旧幕府軍が激突した場所で、激戦の末に新政府軍が勝利したことで知られています。

母成峠古戦場碑

母成峠古戦場碑は、戦闘の様子を記念するために建てられたものです。母成峠の戦いは明治維新後の1868年に、新政府軍(西軍)と旧幕府軍(東軍)に分かれて起こりました。

母成峠古戦場碑

西軍は二本松城を陥落させた後に、母成峠に向かいました。戦いは、東軍の800名(大鳥圭介、土方歳三ら)対西軍の3,000名(板垣退助ら)という圧倒的な軍勢の差により、東軍の敗北に終わりました。

母成峠古戦場碑 説明版

戦闘は早朝に始まり、夕方には決着がつき、西軍の戦死者は25名、東軍の戦死者は88名とされています。

母成峠古戦場碑 駐車場

母成峠古戦場碑には大きな駐車場があります。母成峠は、母成グリーンライン上にあり、遠くからの観光客や地域のシルバーセンターの方々が利用していました。

母成峠古戦場碑

母成峠古戦場碑からの景色は非常に美しく、東北地方の山々や森林地帯が見渡せます。特に秋は紅葉が美しく、多くの観光客が訪れます。

母成峠古戦場碑

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。

奥の細道の入り口 蓮田サービスエリア (下り) 芭蕉句碑

蓮田サービスエリア (下り) 芭蕉句碑は、埼玉県蓮田市黒浜にある記念碑です。

蓮田サービスエリア (下り) 芭蕉句碑

蓮田サービスエリア(下り)には、俳人・松尾芭蕉の句碑があります。句碑には「行春や鳥啼魚の目は泪」という有名な句が刻まれています。

蓮田サービスエリア (下り) 芭蕉句碑

芭蕉句碑は、松尾芭蕉が奥の細道の旅に出かけたときの「矢立の初め」の句です。

蓮田サービスエリア (下り) 芭蕉句碑

芭蕉が訪れた場所には他にも句碑が設置され、日本各地の句碑めぐりが人気の観光スポットとなっています。

蓮田サービスエリア (下り) 芭蕉句碑

機会があれば、再度来てみたいですね。

それでは、また。

  • 2022/04/19 初版
  • 2022/10/31 更新